発刊の経緯
広報冊子の「はらから」は以下の経緯で発刊されました。
其のころ(1975年)支部の会員数は370名程度だった。会員数は年々増加の一途を辿っていた。時の執行部は何とか全員参加を求めて事業を起こすのだが、会の運営、活動状況など一般会員に中々理解されず、『建築士会は一部の会員と役員が運営している』との声が聞かれていた。
期を同じく、本会の編集委員2期目だった。委員会の中で各支部の状況は手に取るように理解できた。どの支部も同じような問題を抱え悩んでいた。
此の儘だと、明日の建築士を志向する若者たちの夢は叶えず、単に会費要員になってしまう。 私たち会員は、もっともっと話し合い、協力し合い、お互いに信じあえる仲間として、団結も強め、社会に信頼され求められる団体にならなければならない。そのためには、まず会員相互のコミュニケーションの場が必要である。との理由から広報・広聴としての役割を果たすべく機関紙の発行を要請した。理事会は承認した。
そして、少なくも1年に3~4回発行しないと、意見や情報などの伝達、連絡。意思の疎通は図れないと思い、支部の委員最後の年であったが、委員並びに会員皆さん方のご協力のお陰で、目標だった1年に4回の発行が出来た。誰一人「俺は暇だ」という人は無い。そうした中で、目標を立てるか立てないかである。目標を立てなければ何事も成熟しない。委員会全員の心がひとつになり足を使えば、1年に3回や4回の発行は無理なことではない、と自信と理解を深めた。
本会のニュースは毎月刊行している。現在は此のニュースも会員へ、直に郵送されて来るが、其の頃支部では理事が各会員宅へ直に配布していた。それぞれ日中は忙しいので殆どの理事は夜配布していた。手渡しされると『ご苦労さん』と言う気持ちで、見る気にも、読む気にもなる。その場で話も出来、大きなコミュニケーションの場にもなる。何事も人の為にと思えば辛くなるが、与えられた使命、機会と受け止め、自分なり一生懸命、精一杯努力させて頂いたので、この『はらから』が会員相互のコミュニケーションの場として、より充実し永続します事を祈念いたします。
題の『はらから』は建築士会の歌詞の中の『はらから』を引用させて頂きました。
また『題字』は福島新町の書家、松崎桂様、に執筆して頂きました。
小林 恭一
冊子は現在までに54号を数えていますが、2年ほど前から時代のすう勢でB5だったものをA4に大きさを改めました。
また、委員会の名称も本会に倣って、昨年より情報・広報委員会と改めております。
因みに、以前の名称は編集委員会でした。